大阪家庭裁判所 昭和40年(家)2604号 審判 1966年10月04日
申立人 小野吾市(仮名) 外三名
相手方 小野賢一(仮名)
主文
被相続人亡小野耕平の別紙目録記載の遺産を次のとおり分割する。
別紙目録第一1の田二畝一七歩、同七の宅地一九坪七合六勺に対する賃借権、別紙目録第二3の居宅一棟建坪三坪は、いずれも申立人小野吾市の所有とする。
別紙目録第一2の田二畝一三歩及び同4の山林二二歩は、申立人久保田花子の所有とする。
別紙目録第一3の畑八歩及び同5の田六畝〇七歩は、申立人小野弥平の所有とする。
別紙目録第一6の宅地一六坪五合三勺及び同8の宅地一〇五坪〇八勺に対する各賃借権、別紙目録第二1の納家一棟建坪五坪、同2の物置一棟建坪三坪は、いずれも相手方小野賢一の所有とする。
相手方賢一は、申立人小野吾市に対し金二〇〇、九一七円を、申立人久保田花子に対し金二七一、一一七円を、申立人小野弥平に対し金一五四、七一七円を、申立人海野貞子に対し金一、六四一、二一七円をそれぞれ支払え。
申立人久保田花子は、申立人小野吾市に対し別紙目録第一1の田を明け渡せ。
相手方小野賢一は、申立人小野吾市に対し別紙目録第一8の宅地上に存する申立人小野吾市の取得した居宅及び同人が建てた物入ならびに物干場を所有し使用するためその敷地を使用することを当分の間許容し、かつその居住に必要な範囲で公道への出入その他の用途のため同申立人が居住する間従前どおり土地の使用を許し、その使用を妨害する一切の行為をしてはならない。
本件鑑定に要した費用金一五、〇〇〇円は、これを五分し、その一づつを本件各当事者の負担とする。
理由
第一、相続人
当庁昭和三七年(家イ)第一六二号親族間不和調整調停事件(申立人小野吾市、相手方小野賢一)の記録中の各戸籍謄本、当庁調査官稲留秀穂の昭和三八年九月一四日付調査報告書によると、被相続人小野耕平は、昭和二五年一月一〇日死亡し、その相続人は、長男小野弥平(申立人)、長女東田安恵が昭和八年九月三日死亡したため同人と東田富作との間の長女で代襲相続人である海野貞子(申立人)、三男小野賢一(相手方)、三女久保田花子(申立人)及び五男小野吾市(申立人)であることを認めることができる。
第二、相続財産
本件記録中及び当庁昭和三七年(家イ)第一六二号事件記録の各登記謄本、当庁調査官稲留秀穂及び同浜本幸男の各調査報告書、申立人ら及び相手方に対する各審問の結果を総合すると、次の事実を認めることができる(但し、事実認定の中間における当裁判所の判断部分を除く)。
被相続人亡小野耕平が死亡した昭和二五年一月一〇日被相続人に属していた財産は、(イ)別紙目録第一123の土地(ロ)同4の山林二二歩を含む吹田市大字○○○○番地山林二畝〇六歩、(ハ)別紙目録第一5の土地、(ニ)別紙目録第一678を含む吹田市大字○○○○番地宅地一五三坪及び同所○○番地の一宅地一三〇坪に対する所有者大神繁蔵を賃貸人とし、被相続人亡小野耕平を賃借人とする堅固ならざる建物所有を目的とする賃借権、(ホ)別紙目録第二123記載の建物、(ヘ)吹田市大字○○○○番の一地上、木造藁葺平屋建居宅一棟建坪約二二坪、(ト)同所○○番地上木造瓦葺平家建居宅一棟、建坪一六坪七合五勺、(チ)その他衣類、その他の動産若干であった。
申立人小野弥平は、本件調停及び審問期日において、別紙目録第一2の田二畝一三歩、同3の畑八歩、同5の田六畝〇七歩は、自己が農地開放により売渡を受けたものであって、相続財産には属さないと主張し、上記主張にそうかのような権利証を所持し、上記3及び5の土地の登記簿謄本にも一応所有名義人が小野弥平のような外形をとっていることが認められる。しかし、上記各土地は、被相続人耕平生存当時においては農地であり、上記2の田二畝一三歩(現況宅地)及び3の畑八歩は、もと畑野徳市の所有に属し、被相続人耕平が同人からこれを賃借して耕作しており、上記5の田(現況原野)六畝〇七歩は、もと佐野栄一が所有し、これを野口誠一郎が賃借していたが、同人は耕作せずに被相続人耕平が所有者の承諾を得て転借し、耕作していたものである。しかるに、上記各土地は、その所有者がいわゆる不在地主であったため、自作農創設特別措置法(自創法)により国に買収され、当時の所轄の大阪府吹田市岩部地区農地委員会は、同地区内の他の買収農地とともに上記農地につき売渡計画をたて、被相続人耕平の売渡申出に基き、所要の手続を経た上、上記23の農地については、売渡期日を昭和二二年一〇月二日、上記5の農地については、売渡期日を同年三月三一日とし、売渡を受ける者を被相続人耕平として売り渡すことに決定され、その旨大阪府知事から売渡通知がなされ、ついでこれに基づき被相続人耕平死亡後の昭和二五年八月二五日小野耕平名義に登記された(現に上記2の土地は登記簿上も耕平名義となっている)。しかるに、申立人弥平は、上記各農地は同申立人が耕作していたもので売渡を受けたのは同申立人であるべきであるのに小野耕平が売渡を受けたとなっているのは誤であると上記吹田市岸部地区農地委員会の係員に申し入れたところ、同委員会の係員男某は、何等訂正する権限もなく正規の手続をとることなく、申立人弥平の申出のまま、同人の持参した売渡通知書の売渡を受けた者の氏名「小野耕平」の「耕」のみ抹消し、これを「弥」と訂正し、訂正印を押さずに同申立人に返還した(この点申立人弥平の審問期日における陳述、調査官稲留秀穂の同申立人に対する調査結果と同申立人所持の権利書により明白である)。しかし、吹田市岸部農業委員会保管の売渡計画書、土地登記嘱託書等の原簿には、売渡を受けた者の氏名は何ら訂正されず依然として「小野耕平」である。上記訂正後いかなる方法により訂正されたか不明であるが、上記3及び5の土地の登記簿謄本には、売渡による所有権取得者の氏名が「小野弥平」となっているが、細かく観察すると、「耕」の字の上に「弥」と書き加えられたとみられる形跡が顕著である。後日「耕」の上に「耕」を不明にするように「弥」を書き加えたものと認めざるを得ない。自創法による農地の売渡は、国による農地の買収、売渡計画の樹立、公告、売渡申出、売渡決定、その通知等一連の行政処分や手続によりなされるものであって、各行政処分に無効又は取消原因があり、行政庁が適法に取り消した場合又は訴により無効が確認され又は取り消された場合の外有効に存続するものであり、上記のように権限のない者によって売渡通知書に記載の売渡を受けた者の名の一部を変更したことだけで本来の効力に変動を生ずるものではない。そうすると、上記23及び5の土地は被相続人耕平が国から売渡を受けたものであって、同人の遺産であることが明らかである。
次に、上記(ロ)の吹田市大字○○○○番地山林二畝〇六歩は、被相続人耕平が明治四三年一二月二七日売買により取得し所有して来たものであるが、同人が昭和二五年一月一〇日死亡により本件当事者が共同相続した。しかるに、昭和三五年頃日本道路公団が名神高速道路建設用地としてその一部を買収することとなり、川村二郎のあっせんにより主として相手方小野賢一がその売買交渉の任に当り、うち別紙目録第一4の山林二二歩を残したその余の部分を代金四九九、〇〇〇円で同公団に売却し、分筆の上同公団の代位により昭和三五年一二月一四日本件当事者ら名義に相続登記を経て、上記売却部分は、同日同年一〇月二〇日付売買による同公団への所有権移転登記手続を経、売却されなかった上記4の山林のみは、同公団による代位による分筆登記のみがなされ、現在被相続人耕平名義のまま残存している。本件当事者は、上記売買代金を協議の上分割した。従って、本件遺産分割の対象となるのは、残存部分の山林二二歩である。
被相続人耕平は、その生前所有者大神繁蔵から上記(ニ)の吹田市大字○○○○番地宅地一五三坪及び同所○○番地の一宅地一三〇坪を堅固ならざる建物所有の目的で賃借し、その地上に上記(ホ)、(ヘ)、(ト)の建物等を所有していた。土地の賃借権は、財産権であって相続の対象となることは明らかであるから、被相続人耕平の死亡により本件当事者らがこれを相続したことはいうまでもない。しかるに、相手方賢一は、本件調停及び審問期日において、被相続人耕平の死亡後間もなく賃貸人との合意により従前の賃貸借契約を解除し、相手方賢一のみを賃借人とする契約がなされたから、その後の賃借人は相手方賢一であって遺産分割の対象にはならないと主張する。本件調査の結果によると次の事実が認められる。被相続人耕平の死亡当時上記賃借地に対する賃料の支払が約二年分延滞していたので賃貸人大神繁蔵から被相続人耕平の死亡後相手方賢一に対しその支払の請求があったのを機会に、大神繁蔵と相手方賢一との間で今後大神繁蔵から相手方賢一に賃貸する旨の合意がなされた。しかし、上記合意は、相手方賢一が他の相続人らと何等相談することなく、又他の相続人らから何等の権限を委任されることなく勝手にしたのである。もとより賃貸借契約は、債権契約であるから同一土地につき異った当事者間で二重に契約しても契約自体はもとより有効であるけれども、目的物件の占有使用の面でいずれかの契約が不履行となる場合や既存の賃借権の侵害となる場合を生ずる。本件では、相手方賢一は、上記賃借権の共同相続人の一人にすぎないのであるから単独で賃貸人大神繁蔵との合意により従前の賃借権を消滅せしめることはできないし、上記賃借地上には当時上記(ホ)、(ヘ)、(ト)の共同相続の建物が存在し、相続開始と同時に相続人全員が上記建物の所有権を取得するとともに、その敷地の賃借権と占有権とを取得したものと解すべきであり、たとえその後相手方賢一が賃貸人大神繁蔵に賃料を支払っていたとはいえ、その支払資金は自己固有の財産から支払ったのでなく、賃貸していた上記(ト)の建物の存続中はその賃料を自ら又は賃借人から直接大神繁蔵に支払っていたのである。従って、相手方賢一は、大神繁蔵と上記合意をした後も純然たる一人の賃借人として上記宅地を占有使用していたのではなく、被相続人耕平の相続人としても(上記合意により上記のように相続の対象となった賃借権は当然には消滅しないから)占有使用し、相続財産たる上記建物の賃料を以て賃借土地の賃料を支払っていたものとみるのが相当である。そうすると、相手方賢一が他の相続人らの承諾なくして、上記賃借権を処分し、他の相続人らをして上記宅地に対する使用収益を不能ならしめ又は著しく困難ならしめた場合には、その賠償をする義務があることは当然であり、このような代償請求権は遺産分割の対象となるものと解すべきである。しかるところ、昭和三六年七月頃大阪府は、それ以前から既に計画されていた都市計画街路事業を引き継ぎ吹田市千里ニュータウンに通ずる道路一、四〇〇メートルの建設計画を遂行し、その道路予定地に上記賃借土地の一部がかかることとなり、予定地の地区の地元代表者として川村二郎外四名が選出され、同人らを介して地主大神繁蔵(上記代表者の一人)や土地の賃借人であると主張する相手方賢一に交渉させた結果、上記賃借土地の一部も道路敷地として買収されることとなった。当時申立人弥平から大阪府や大神繁蔵に対し、上記土地賃借権は、本件当事者らが共同相続したものであり、相手方賢一の単独のものではないと申し入れてあったにかかわらず、大阪府は、道路建設を急ぐ関係もあって、上記大神繁蔵が相手方賢一のみに賃貸しているものであると説明し、もし紛争が起ったら責任を負う旨の一札を差し入れさせ道路敷地として買収した合計一二九坪〇二勺の代金二、五八〇、四〇〇円を川村二郎を通じ大神繁蔵に支払った。大神繁蔵は、別紙目録第一678(一部分筆後のもの)を除いたその余の宅地の賃借権の対価として当時相手方賢一に対し上記代金の半額金一、二九〇、二〇〇円を支払った。相手方賢一は、大神繁蔵に上記土地の返還及びその対価の受領につき、他の相続人らに相談せず、すべて独断でなした。上記賃借土地は、上記買収にともない一部分筆され、別紙目録第一678の宅地のみとなった。そして、買収された宅地は、昭和三七年五月一〇日一旦財団法人大阪府開発協会名義に取得登記され、ついで買収宅地のうち○○番地の四の宅地一二坪三合一勺は、同年六月一八日、○○番の三の宅地一一六坪七合一勺は、昭和三八年四月一四日いずれも大阪府名義に取得登記され、吹田市千里ニュータウンに通ずる道路敷となり現在道路として使用されている。従って、道路敷となった部分については、たとえ賃借権を侵害されたとしてもこれによる賠償請求権の存否は別として、賃借権の行使をすることができなくなったものといわなければならない(道路法第四条)。このような結果となったのは、相手方賢一の行為によるのであるから、既に説明した理由により相手方賢一の得た対価の金一、二九〇、二〇〇円(対価は相当であると認められる。相手方賢一は、自己の現住の家屋を新築する資金としてこれを勝手に費消している)に相当する代償請求権(別紙目録第三1)は、本件遺産分割の対象となるものと解するのを相当とする。なお上記買収等の結果、上記(ニ)の宅地に対する賃借権は、別紙目録第一678の宅地に対する賃借権として遺産分割の対象として存続することとなる。
上記(ヘ)の建物は、大正二年頃被相続人耕平により建てられた家屋で、被相続人耕平は、昭和二五年一月一〇日同家屋で一人淋しく死亡した。相手方賢一は、被相続人の死亡後同家屋で居住したり、不在中は他に貸したりしていた。同家屋は、被相続人死亡当時既に老朽家屋であった上、その後修理もせず放任されていたため雨漏りがはげしく、家屋は次第に傾き、遂にはその南半分は自然に滅失し、かろうじて北半分が残存する程度となった。相手方賢一は、昭和三六年頃から申立人弥平、同吾市から取り毀ち反対の意思表示があったにかかわらず、上記賃借地の一部が道路敷となり、賃借地の一部返還の代償として相当額の金員が入手できるようになったので、昭和三七年三月三〇日申し立てられた本件調停進行中に上記家屋を取り毀ち、上記代償金や後記家屋の補助金等を使用して旧家屋とほぼ同一場所に現住の家屋一棟を新築し、現在これに居住している。取り毀った家屋の古資材は、敷地内に放置されており、現在においては古い朽ちた柱など若干存するのみで殆んど価値は認められない。相手方賢一は、上記家屋を取り毀ち滅失させたことにつき責任のあることは勿論であるが、上記家屋は、既に説明したとおりの老朽した廃屋であり、その価額を評価すべき資料もないから、その責任の範囲を確定することができない。従って、上記家屋又はその取り毀ちによる代償請求権は価額算定の不能の故に本件遺産分割の対象から除外せざるを得ない。
次に、上記(ト)の家屋は、上記(ニ)の○○番地の宅地上にあり、上記のとおりその敷地が千里ニュータウンに通ずる道路敷となり撤去せざるを得なくなり、上記地元代表者と大阪府との間で同様の関係にある者のために団体交渉の方法による立退補償の交渉がなされた。昭和三六年一〇月頃申立人弥平は、大阪府に対し、大阪府のいう立退補償額でよいと申し出て大阪府から契約書用紙の交付を受けた。しかし、申立人弥平は、その後六ヵ月経っても相手方賢一の反対のため契約書に所要の署名押印を調えることができなかった。上記家屋は、その当時賃借人北野栄太郎らは既に移転して空家となっており、ひさしも傾いた老朽家屋となっていた。相手方賢一は、大阪府には連絡なく上記家屋を勝手に取り毀ってしまった。大阪府は、家屋がなくなった以上移転料は支払えないと主張したが、地元代表者から家屋は今にも倒れそうで危険であるからつぶしたが調査の際には建っていたのであるから支払ってもらいたいと申し入れ団体交渉的交渉がなされた結果、大阪府は、これを認め昭和三七年四月三〇日相手方賢一の委任状により移転補償料として、金四二一、一〇〇円(一六坪七合五勺の母屋に対し金四一八、六〇〇円、建増部分三坪に対し金二五、〇〇〇円)を地元代表者川村二郎に、「相手方賢一個人に渡さぬこと、本件遺産分割の協議が成立するまで川村二郎が責任を持って保管すること」の条件で交付した。川村二郎は、上記条件で上記金員を預り、被売収者の地理的、家庭的要因を考慮した坪当り金四〇〇円の調整金を上記金額から控除した金四三〇、〇〇〇円を相手方賢一名義の通帳で川村二郎の印で吹田市岸部農業協同組合に預金し、通帳を相手方賢一に交付した。相手方賢一は、その後川村二郎の妻に主人の了解を得ているから印をかしてくれと虚偽のことを申し入れ、同人の妻から交付を受けた印により上記農業協同組合から上記金員及び利息との合計金四三二、三一三円の払出を受け、これを上記新築家屋の建築資金等に費消した。上記金員は、共同相続した家屋の移転補償料であるから、当然本件当事者の共有となるべきもので、相手方賢一が単独でこれを取得することのできないものである。しかるに、相手方賢一は、単独で上記金員を自己のため費消したのであるから、他の相続人に対し賠償すべきであり、かかる代償(賠償)請求権(別紙目録第三2)もまた遺産分割の対象となるべきものである。
上記(チ)の動産類は、被相続人耕平死亡当時存在していたが、現在存在せず、その数量や価額を確定する資料がないので、本件遺産分割の対象とすることができない。
以上の次第で、被相続人耕平の死亡当時の相続財産は、その後多少変更消滅があり、本件遺産分割の対象としての遺産は、別紙目録記載のものが残存しているのみである。
なお、相手方賢一は、本件調停及び審問期日において、申立人弥平が現住する吹田市○○町○○○○番地(現在同市○○町○○番地)の家屋は、亡母小野タメの所有であったのであるから、本件遺産分割の対象となるべきものであると主張した。しかし、本件調査の結果によると、同家屋は、現在本件当事者らの母タメ名義になっており、タメはその夫耕平の死亡前の昭和二一年二月一五日に死亡しているが、元来同家屋は、大正一三年七月頃申立人弥平が借金などをして建築してこれに居住して竹商を営み、家屋を一旦は自己名義に保存登記したが、竹商による失敗等のため債務を生じたので、母タメと相談の上債権者からの差押を免れる目的で単に登記簿上母タメ名義にしておいたまでのことで、実質上は申立人弥平の固有財産であることが認められるから、上記物件は遺産分割の対象とならないことが明らかである。
第三、相続財産の価額と各相続人の取得額
鑑定人佃太郎の鑑定の結果(鑑定書中建物の部の所在地の○○○○番地の二は同番地の一の誤記と認める。)によると、別紙目録第一、第二各記載の各物件の価額は、昭和四一年一月一三日現在において別紙目録の各物件の価額欄記載のとおりであり(別紙目録第一678は、単価に坪数を乗じて算出。鑑定書に○○番地の一宅地一一七坪六合九勺とあるのは、一〇五坪〇八勺の誤記である。)、その後約九ヵ月間の土地家屋の価額はよこばい状態であることは顕著な事実であるから、現在の価額も上記と同一であると認めるのを相当とする。そうすると、本件遺産分割の対象となる別紙目録第一ないし第三記載の物件及び権利の価額は、合計金八、二〇六、〇八八円であることは、算数上明らかである。そして、冒頭認定のとおり本件当事者は、被相続人耕平の直系卑属(海野貞子は孫で代襲相続人)であるから、その相続分は各五分の一づつである。従って、各相続人の取得すべきものを価額で計算すれば上記合計額の五分の一に当る金一、六四一、二一七円(円以下切捨)づつとなる。
第四、遺産分割の方法
本件調査及び検証の結果によると、次の事実を認めることができる。
別紙日録第一1の田は、現況畑で現在申立人花子が事実上占有し、野菜畑として使用しており、同第一2の田は、現況宅地で申立人花子が申立人弥平、同吾市、相手方賢一からその占有使用を認められ、その夫久保田為三郎が木造瓦葺平屋建居宅一棟を建築し、申立人花子がその夫及び家族とともに居住している。同目録第一3の畑八歩及び同5の田六畝〇七歩は、農地開放の際売渡を受けたもので既に説明したような事由で登記簿上は、申立人弥平名義と読み得るようになっており、前者は申立人吾市及び相手方賢一の現住所の北裏川沿いにあって現在誰も使用せず放置されたままであり、後者は、申立人弥平が事実上これを占有管理している。同目録第一4の山林二二歩は、名神高速道路用地として日本道路公団に売却された山林の残地で申立人花子居住家屋の裏側にあり、現在誰が管理するということなく放置されている。別紙目録第一678の賃借地の大部分は、相手方賢一が居宅やガレージを建て、土蔵及び物入を占有使用してこれを使用しており、申立人吾市は、上記8の宅地上の建坪三坪の家屋(別紙目録第二3の居宅)に昭和二七年八月頃から居住し、これに接着して建てた物入とその裏側の物干場を使用し、かつ、上記住居より道路に出入するための土地を使用している。別紙目録第二1の納家と同2の物置とは、現在相手方賢一がこれを占有使用している。
申立人弥平は、現住所で自己所有の家屋を所有して居住し、竹材商を営んでおり、申立人吾市は、露天商を営み上記のように本件遺産の一部の家屋に居住し、申立人花子は、工務所に勤務する久保田為三郎の妻で家族とともに上記夫所有の家に居住している。申立人貞子は、被相続人耕平の長女安恵の子で、池田市の○○寺の住職兼中学校教諭海野豊造の妻で上記○○寺において夫と二人の子とともに居住している。相手方賢一は、露天商を営み、現住所で新築した家屋に居住して上記のように別紙目録第二12の建物を使用し、○○○○番地の一地上にガレージを建築し、これを所有している。
以上の諸点及びその他諸般の事情を総合すると、本件遺産は、次のとおり分割するのを相当とする。
別紙目録第一1の田(現況畑)二畝一七歩、同7の宅地一九坪七合六勺に対する賃借権、同目録第二3の居宅一棟建坪三坪は、いずれも申立人吾市の所有とし、同目録第一2の田(現況宅地)二畝一三歩及び同4の山林(現況原野)二二歩は、申立人花子の所有とし、同目録第一3の畑(現況原野)八歩及び同5の田(現況原野)六畝〇七歩は、申立人弥平の所有とし、別紙目録第一68の宅地に対する賃借権、同目録第二1の納屋一棟及び物置一棟は、いずれも相手方賢一の所有とする。申立人貞子は、金銭による相続分相当の価額を取得するのを相当と認める。
そうすると、分割により上記土地家屋等を取得したことにより、申立人吾市は、合計金一、四四〇、三〇〇円相当のものを、申立人花子は、金一、三七〇、一〇〇円相当のものを、申立人弥平は、金一、四八六、五〇〇円相当のものを、相手方賢一は、金二、一八六、六七五円相当のものをそれぞれ取得したこととなり、各人の相続分の評価額金一、六四一、二一七円に比べると、申立人吾市は金二〇〇、九一七円、申立人花子は金二七一、一一七円、申立人弥平は金一五四、七一七円いずれも不足し、相手方賢一は金五四五、四五八円既に超過している。のみならず、相手方賢一は、別紙目録第三記載の金員を既に勝手に費消しているのであるから、上記申立人らに対しては各その不足分を、申立人貞子に対しては、金一、六四一、二一七円を即時に支払わなければならない。
上記分割の結果、申立人花子は、申立人吾市に対しその所有となった別紙目録第一1の田(現況畑)を明け渡さなければならない。又相手方賢一は、申立人吾市に対し相手方賢一の取得した賃借権の目的たる宅地上に存する申立人吾市取得の居宅及び同人が建てた物入、物干場を所有し使用するため当分の間その敷地を使用することを許容し、かつその居住に必要な範囲内で公道への出入その他の用途のため同申立人が居住する間従前どおり土地の使用を許さなければならないし(使用の対価については当事者双方で協議して定めるのが相当である。)、その使用を妨害する一切の行為をしてはならない。
よって、鑑定費用の負担につき、家事審判法第七条、非訟事件手続法第二七条を適用して主文のとおり審判する。
(家事審判官 岡野幸之助)
目録(編略)